小さい頃からアイドルになりたかった私は今日デビューする
幕の向こうの客席にはファンの人たちがたくさんいる
私は夢を叶えたんだ
2分で読めるショートショート
小さい頃からアイドルになりたかった私は、とうとう夢をかなえた。アイドルとしてデビューすることになったのだ。かわいい衣装を着て、ステージに立って、歌って、おどって。初めてアイドルを見たのが何歳の頃だったかは覚えてないけど、ずっとずっと憧れていたのだ。子どもの頃の夢なんて、大きくなる頃にはすっかり忘れているもんだなんて、大人は言うけれど。私はずっとずっと忘れなかった、忘れられなかった。
私にはアイドルになる上で心に決めたことがある。アイドルとして、そして誰よりもアイドルらしくあるために決めたひとつのこと。それはファンを裏切らないことだ。私をアイドルとして応援してくれる人は、きっと素晴らしい人たちだと思う。そんな人たちをがっかりさせたり、裏切ったりしちゃダメだ。私はファンの人をだいじにする、そのために裏切らない。そう心に決めたのだ。
ステージの袖から客席をこっそり見る。今日の私のステージのために集まってくれたファンの人たちだ。みんな優しそうな人たちだ。緊張と不安、嬉しさと楽しさ、寄せてはかえす波のように私の心は揺れている。大丈夫、今日まで一生懸命頑張ってきたんだ。今までの練習の日々を思い出して、気を奮い立たせる。今日は本番、きっと大丈夫。朝から何度つぶやいているだろう。ファンの人を裏切ってはいけない、がっかりさせてはいけない。
開演時間が近づいて、ステージ裏はいっそう慌ただしくなる。周りの大人たちは自分にできることを精一杯頑張っている。私も頑張らなくちゃ。
ステージの中央に立って、開演を待つ。あと1分。開演とともに音楽が流れ、私は歌い出す。そう、デビュー曲から始まるのだ。
あと30秒。これまでの練習を振り返る。私のアイドルとしてのスタートだ。ファンの人のことは裏切らない、がっかりさせない。カウントダウンが始まる。
そして、開演の時間。ステージの幕がーーー
上がらなかった。幕は上がらない。私はデビュー曲を歌い出す。私が要望したアイドルのイメージどおりのポップな初恋の歌。幕の向こうの客席からはファンのみんなが困惑した声を出している。私はみんなを裏切りたくない。私は最初からみんなの前には出ない。私はみんなの期待を裏切るようなことはしないのだ。
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